産後ケア最終日。にもかかわらず、というか、だからこそか、興奮して眠れなかった。
やっと手にした“自分だけの時間”が尊すぎて、意味もなく「満喫しなきゃ」みたいな謎の義務感に追い立てられていた。やってることといえばYouTubeを見ることくらいなのだが、Produce101の過去シーズンを遡って沼にハマってたりした。たったそれだけなのだが、次の授乳の時間を気にせず、赤子が生きているかどうかも気にせず、深夜に布団でゴロゴロしながら「うわ…この子…今見ても輝いてるわあ…」なんて呟く自分は、確実に産む前の私と同じでどこか安心する。
朝はひっそりと、でもしっかりと、産後ケア生活の終わりを感じながら始まった。
夫にあらかたの荷物は持って帰ってもらっていたので、あとは使い終わった小物をポイポイとしまっていくのみ。朝食の前に搾乳しようと意気揚々と向かったものの、いざ装着しようとしてガーン。今日の服、首元までガッチリ詰まったロングワンピースじゃん…搾乳するには完全に不向き…。まくり上げないと搾乳できない。搾乳機をわざわざ部屋に借り出して、がらんとした空間で一人ワンピースを脱ぎ捨てて乳を絞る自分。何も考えなかったが故に、朝からわざわざ虚しくなっている。
チェックアウトは15時。残された自由時間、私は一人でカラオケに行くことにした。
産後ケア施設から徒歩10歩先の歌広場。開店と同時に入店する。平日だし空いてるかと思いきや、おじいちゃん、おばあちゃん、学生、マダムたちがぞろぞろ。全員ソロ客。カラオケって、こんなにソロが当たり前な空間だったのか。時間帯か。
今日のテーマは『いつも赤子に歌ってた子守唄を全力で歌う』
星に願いを、楓、あわてんぼうのサンタクロース、日曜日よりの使者、きらきら星…。いつもは鼻歌でふんふん揺れながら歌っていた曲を、腹から声出してビブラートかけてフルパワーで歌い上げるのがまぁ気持ちいいこと。誰にも見られてないはずなのに、終わった後にはちょっと照れていた。全力過ぎたかしら。しかし心の底から「一人って最高」って思えた瞬間だった。思いつきだけど来てよかった。
そして、産後ケア最後のご飯。
毎回レストランかってくらいの豪華な献立だったけど、それももう最後。明日からは「夫 or 私」が作らなければ、何も出てこなくなる。しかも一汁三菜なんて無理。美味しい食事が自動で出てくるって、それだけで天国だったんだなとしみじみ噛みしめる。
で、そんな余韻に浸ってばかりもいられない。いよいよ、初めての赤子との電車帰宅である。
退室予定は14時。赤子のミルクとお昼寝と電車の混雑を計算して決めた“最適解”の時間。赤子は抱っこ紐にすっぽり収まり、私はパンパンに膨れたトートバッグを片手に、いざ出陣。保育士さんに「赤ちゃん、肌着だけで大丈夫ですか?」と聞かれたが、暑いし、抱っこ紐で見えないし、普段からそうだし、別にいいであろう。もしや他の赤子は着ているのか…?と一瞬自分を疑うが、いやいや機能性命である。
ガチガチに緊張しながら駅に向かう途中、やたらとすれ違う高齢者に見られているのに気づく。なんなら話しかけられた。「あら〜小さいねえ」「可愛いわねえ」「がんばってねえ」。…なんか、泣きそうだった。見知らぬ人の優しさって、こうもズルいものか。テンションが急上昇したのは言うまでもない。私、頑張る。頑張るよ私。
んで、ドキドキの電車。思ったより空いていて、ちゃんと座れた。赤子はすやすや寝ていて、むしろ「窒息してないよね!?」と心配になるほど。乗り換えも問題なく終え、気がつけば自宅に着いていた。達成感。私の体力はゼロ、ソファに崩れ落ちてしばらく何もできなかったけど、「やった、無事帰れた」と全身で叫びたかった。
あっという間の4日間だったけど、実に濃かった。今までは“必死”がすべてで余裕なんて全然なかったけれど、育児から少し離れて、距離を置いたことで、なんだか赤子がちょっと愛おしくなった。他人に赤子のことを教えてもらったり、赤子の個性に触れたりして、「あ、この子、こういう子なんだ」と”人間”が見えてきたのも、私の心境的にとても良かった気がする。
明日からまた日常が戻ってくる。でもたぶん、ちょっとだけ心が軽い。赤子との暮らしが、ほんの少しだけ、やっていけそうな気がしている。ま、またすぐにぼやくとは思うけども。
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