ささやかなすれ違いから、夫と喧嘩。
いや、もうお互い限界なのだろう。寝不足とストレスが積み重なり、些細なことで感情が爆発する。
だが、根本的な原因は母乳にある。
搾乳した母乳が余ったからといって捨てられるのは、心が抉られる。せっかく絞ったのに。なんならこれ、血と涙の結晶だぞ? 夫はそれを分かっていない。粉ミルクと同じような扱いをしてくる。なんなら「粉ミルクの方が飲むスピードが速い」と搾乳と粉ミルクを2つ用意すれば進んで粉ミルクから与え始める。抉りたい。赤子は赤子で嫌そうな顔をして飲もうとしない。その姿を見るのもまた辛い。
「栄養」ただそれだけを信じて私は毎日乳から液体を絞り出している。 赤子に吸われることなく機械でシュコシュコ絞っている姿は自慰と何が違うのか。ただし感じるのは、圧倒的なやるせなさと痛みである。搾乳している姿はちょっと滑稽ですらある。搾乳している姿が嫌で、夫に隠れて搾り取る。日中は寝室で、真夜中はリビングで。どちらも部屋は真っ暗にして、自分でさえ自分の姿が見えないように。
このおっぱいを、今後性器として取り扱うことはできるのだろうか。女の乳首はエロではないのか。
数時間おきにシュコシュコやりながら、毎回涙がほろりとこぼれる。こぼれたら最後、終わるまでずっと涙は流れる。ああ、これはマタニティブルーなのか。今までは「繊細で赤ちゃんを愛している人」がなるものとどこか他人事だったけれど、いざ自分がそうなると、すごくしんどい。繊細とか愛情とか関係ない。ただのホルモン。
朝、起きると夫が謝ってきた。私も意地悪した自覚があるので、素直に抱きついて泣く。夫婦って、結局こんな感じで成り立っているのかもしれない。
そんな夫が、出産祝いにあじさいをプレゼントしてくれた(一応前から頼んであったらしい)。グラデーションがかかっていて、とてもきれい。このまま大切に育てて、毎年咲かせたい。
夕方、家計簿や内祝いの準備など、細々としたタスクを片付ける。久しぶりに手帳を開くと、「あ、これが私の時間だ」と実感する。自分のために使う時間。育児に少しだけ余裕が出てきたことも実感する。出産の記録や、育休中にやりたいこと・やったことをまとめたい。(それがこの記録となっている)
21時。赤子が恐ろしい泣き方をする。便が出ていないからか? ただ健康でいてくれればいい。それだけなのに、心配事の重みは日に日に増していく。
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