産後ケアもいよいよ中盤。夜はガッツリ寝て、朝はのんびり起きて…のはずが、目覚ましもかけていないのに6時ぴったりにパチっと覚醒。うん、健康的。でもちょっと悔しい。
今日は朝ごはんをもりもり食べた後、赤子の預け入れ可能時間までの空白をどう過ごすか迷い、抱っこ紐で近所を散歩することに。最近の赤子は朝は覚醒していることが多く、かといってなにか遊ぶわけでもないので、母子同室で無言で見つめ合うだけで過ごすのは避けた。
外はまだ涼しく、日差しも控えめ。でも午後になると抱っこ紐をした状態では滝汗になるのだろうなというくらいの気温。散歩をするなら今しかないと日傘を片手にテクテク歩く。
特に目的地もなく、地図アプリも使わず、ただ「この道どこにつながるんだろう〜」という子どもの頃の感覚だけで散策。住宅街に紛れた小さな公園や、思いがけず素敵な一軒家などを見つけてちょっと得した気分になる。理想は赤子に「ほら、あそこにお花が咲いてるよ」とか話しかけながら歩くんだろうけど、いかんせん今の赤子は無反応すぎてやる気が出ない。周囲の目も気になるので、結果、無言でもくもくと、気分はうきうきと散歩をする。
途中でローソンを発見。懐かしのアイスカフェラテ・メガサイズをちゅーちゅー吸いながら産後ケアに戻る。
昔コロナ禍でテレワークが始まった時、仕事始めの気分転換としてよく近所のローソンで買っていた。その後、毎日の出費が痛手になったことや引っ越しをしたこともあり、ローソンコーヒーからは離れてしまった。その頃はちょうど結婚を控えていた時でもあった。1月にプロポーズをされ、3月に両家顔合わせをしようとした矢先の2月にコロナがきた。1歩でも県境を跨げば世間から猛烈に叩かれる中、「対面で会わないと結婚は認められない」と言われ、ではいつ結婚できるのかと散々揉めたのも今や懐かしい。無駄に感傷的になりつつ、今自分の胸に赤子がいる摩訶不思議さを覚える。4年前は今の自分が想像できなかったなあ。
赤子を預けにベビー室に行くと、朝とは別の保育士さんがいて「あ、シフトが交代したんだ」と気づく。名前は覚えられないが、皆一様にキャラが濃くて、顔と雰囲気でだいたい誰かは把握できるようになってきた。
午後は土曜日ということもあり、夫が遊びに来た。
産後ケアに向かう前に、ちょっとおしゃれなカフェに立ち寄り久々の二人だけのデートを楽しむ。さっきまで感傷に浸っていたこともあり、より感慨深い。「赤子がいないだけでこんなに落ち着いてお茶を飲めるのか!」と感動も覚える。どの席に座っても良い。ミルクの時間を気にしなくて良い。赤子が泣き出さないかヒヤヒヤしなくていい。泣き出した際の対応を打ち合わせしなくてもいいし、やたらめったら赤子グッズを持って重たい鞄を持たなくてもいい。あぁ、子連れの時は何から何まで赤子のことばかり考えてるんだなあとも思う。
けれど結局、二人で話す内容は赤子のことばかり。産後ケアに置いてあった育児マンガや、使いやすそうな育児グッズ情報、産後ケアでの赤子の様子…。あぁ、私達、カップルも夫婦も通過して、今はもう親なんだな、と実感する。
そうして1時間経つ前に施設に戻り、夫と赤子を引き合わせる。久々に赤子と会った夫はちょっとだけ嬉しそう。さっきまで“猫とのお一人様生活最高”と言っていたくせに。夫にバウンサーの使い勝手を試させ、育児雑誌も読ませて「これ要るかも」とプレゼンする。
夫が帰って暇になったので、夕方は再び記念撮影タイムとした。
今回は和装ではなく、夫の会社からもらったドナルドのベビー服。ついでに自分達で買ったミッキーのベビー服も着せる。さらに勢いで、共有スペースにあった女の子用の袴まで着せてみた。「だって今しか着れないし」「自我はまだないし」「顔だけじゃ性別わからないし」などと言い訳して、ファッションショーを決行する。
ところが初日と違い何枚も服を着せたせいで撮影が長引き、赤子がぐずり出してしまった。慌てておしゃぶりをくわえさせて眠らせ、撮影再開。結果、ドナルド姿で両手をバンザイしながらおしゃぶりをくわえて寝るというカオスな写真が完成。しかもドーナツ枕もしたままだったので、全体的に完成度が低く、どことなく家で撮った感が漂ってしまった。まあでも、これが“今”のリアルだしね。こんなもんであろう。
産後ケアも残すところあと2日。
振り返ると、意外と長く感じた。毎日がゆっくり流れていく中で、少しずつだけど、自分の気持ちにも変化があった気がする。
リフレッシュをしたおかげか、はたまた育児マンガの影響か、赤子のことがちょっとだけ可愛く思えてきた。
たぶん、今までは余裕がなかったんだろうな。泣くたびに「またか…」ってうんざりしてたし、うまくいかないことばかりで悩み、でもその悩みはずっと解決しなくて。一歩外に出れば「ちゃんとした親」になれているかどうか、周囲に迷惑をかけていないかばかり気にしていた。けれどここに来て、たった少し距離をとって、自分の時間を持ち、他の赤ちゃんも目にしたことで、「煩わしく手がかかるだけの赤子」ではなく「私の赤ちゃん」と思えてきた。
赤子にのめり込みすぎなくてもいいのかもしれない。
私が私でいる時間も、優先順位を下げずに大切にしていいのかもしれない。
赤子の愛着も大事だけれど、私から赤子への愛情を育むことだって重要だ。それが“適度な距離感”なのであれば、我が家の育児方針はそれでいいのかもしれない。
そんなふうに、ほんのちょっと、育児に対する「こうしなきゃいけない!」べき論が和らいだような気がした。
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