育児日記0ヶ月6日目「とにもかくにも股が痛い」

夫婦としては初めて(私自身は2回目)の深夜の赤子同室。

隣を見ると、夫はすでに疲労困憊の様子。まあ、彼にとっては初めての深夜の長時間戦である。寝ぼけ眼のまま赤子の泣き声に飛び起きる夫の姿は、どこか初陣の武士のようだった。しかし段々と飛び起きてこなくなるため、私はイラつきをそのままに大げさに布団を叩いて夫を起こす。

この1週間全然眠れていないのに加え、夜中に2時間おきに泣かれると、もはや頭が働かない。「1時間45分で泣いたら、あと15分待ってミルクをあげるべき?」「ミルク全部飲まなかった…ということは次は増やす?減らす?」「授乳に挑戦しようかな、やっぱり今は無理かな無理だな」と、小さな些末な問題が脳内で無限ループ。夫にこれでいいのかと聞かれるも「私も1回しかやったことないから知らない。昨日と違うから分からない。自分でググって」と突き返す。

夫は早くも限界を迎えたようで、壁にもたれて目をつむりながらミルクをあげる。それをベッドで横たわりながら見ている私は、とにかく股が痛くてしょうがない。ベッドから起き上がるのも拷問レベルだし、歩くなんてもってのほか。どんな問題も「股が痛い」にすべて上書きされてしまう。夫は日中は気遣ってくれたが、深夜の眠い中では思いやりも捨て去られ赤子に対して対等に対応することを求めてくる。お前の股を縫ってやろうか。

そうして朝がきてもじくじくと股が痛い女である。1日が経過したところで、状況は何も変わらない。股は痛い。座れない。歩けない。あれ? 私、昨日よりもダメになってない?

本日AMは夫婦そろって仮眠を取ることにし、母に赤子の面倒を頼む。昨日、「もうお母さん、邪魔! 何もしなくていいからソファでゆっくりしててよ!」なんて言い放ったのに、今この状況では「いてくれて本当に助かった」と心底思う。こんなにも自分勝手でいいものか。妊娠中や産後すぐは、母に対して感謝と尊敬を抱いていたのに、その感動は秒で消え去る。この薄情さと我儘さ、我ながらすごい。けれど子どもとは親に対して一生こんなもんなのかなとも思う。自分の赤子を抱きながらも、そう思う。

昼、Uber Eatsでフレッシュネスバーガーを頼む。

そういえば昨日のお祝いの寿司は、結局合間に授乳をしたり寝かしつけたりとバタバタと食べることになり、せっかくの高級ネタを堪能する余裕すらなかった。産後、胃が小さくなったせいで、食べたいネタを全部食べることもできなかった。妊娠前は「美味しいものを食べる」ことが人生の楽しみの一つだったのに、今では「とりあえず栄養補給」という感じになっている。こんなに豪勢な食事を間に合わせで片付けるなんて、昔の私なら許せなかったはずだけれど。なんだこの損失感。自分の楽しみの時間が消えるのではなく、眼の前でどんどん削られていってる感じ。人生の楽しみが少しずつ墨で塗り消されていくようで、じわじわと苛立ちと寂しさがこみ上げる。

お祝い品とは別に母が持ってきてくれた育児グッズの数々を開封する。

初日に「今いいからとりあえずそこ置いといて!」と雑に追いやった結果、未開封のまま放置されていたらしい。夫から「お義母さん、渡すことすごく楽しみにしてたのに、君の態度が怖すぎてショック受けてたよ。赤ちゃんをベッドに落としたことも相当ショックだったようで『私邪魔かしら。来ないほうが良かったかしら』って落ち込んでた」と聞かされる。

それは本当ごめん。余裕なくて。

今日も今日とて、母に頼みごとをして買い物をお願いしていた。使いっ走りにしすぎてるか。せめてお金を渡せばよかった。かわいそうに、昨日の邪険な態度を謝るべきだった。

初めての育児でいっぱいいっぱいとはいえ、親に横柄に甘えている私。今育てている赤子もきっと私にそう思うのだろうな。その時私は何ができるだろう。何を思うだろう。今日を思い出せるだろうか。

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