育児日記0ヶ月5日目「退院日は殺伐と」

退院日の午前0時。あと10時間で私はこの病院を出る……はず。貧血の数値がよければ、の話だけど。

初めての深夜の母子同室。

授乳がうまくいかず、お子のギャン泣きが止まらない。焦りすぎてナースコールを押し、泣きつく。2人の助産師さんがやってきて相談に乗ってくれる。そしてついに、私は最大の禁忌に手を出すことになる——搾乳だ。

「おっぱいはエロであるべき」という邪な固定観念のもと、授乳に対して微妙な嫌悪感を抱いていた私。そのうえ、搾乳機で乳を絞るという行為に「家畜感」を覚え、勝手に忌避していた。だが、そんなこだわりも、赤子の泣き声の前では秒で崩れ去る。聖母のように授乳する理想は早々に捨て、機械を胸に当てる。ピチョピチョと乳が滴る様子を、真っ暗な部屋でぼんやり見つめる。この先、私は結局ずっと授乳に苦戦し、搾乳で乳を与え続けることになる。なぜなら、私の乳首は扁平だったからだ。本を読んでいても自分が該当するとは思いもしなかった。妊娠中、切迫早産のため乳首マッサージが禁止されていたのもあり、どうにもならない。

片乳10分、計20分かけて絞り出した乳とミルクを与える。ようやく寝た。が、1時間半後にまた赤子が泣く。おむつでもない、抱っこでもない。「まさかミルク?でもこんな短時間で?そもそもこんなに飲ませていいの?」と不安になり、再びナースコール。答えは「ミルク」。新生児のことは何もわからない。

ほぼ眠れないまま午前10時。朝イチの採血結果で無事退院が決まる。

股を縫った際、思った以上に時間がかかったので計測した以上に出血していたのかもしれない、と軽く言われる。とにかく、会陰切開はトラウマだ。夫と実母が廊下で待機している。しかし、退院フォローの看護師がなかなか来ない。

予定より1時間遅れでようやく退院。

夫がふにゃふにゃのお子を抱き、私は貧血と股の痛みでヨタヨタ歩く。数歩ごとにめまいがして、動悸でハアハア言っている私を母が支える。駐車場でチャイルドシートの装着にもたつく。すでに横になりたい私はブチギレる。「お前ら1時間何してたんだよ!練習しとけよ!」今思えば、理不尽な怒りだった。

久しぶりの我が家!

しかし、感動の再会を期待していた飼い猫は完全に無関心。さらに、着いて早々に母がベビーベッドへお子を軽く落とす。数分後、お子がミルクを吐き戻す。げっぷがうまくできていなかったのでは?と、なぜか私のせいにされる。納得いかず、トイレでスマホ検索。「頭部の衝撃で吐き戻すことがある」という記事を見つけ、母に突きつけて謝罪を要求。夫はテレワーク中。1ヶ月有給を取ったはずが、なぜか退院日の今日を「最終出社日」にしていたらしい。打ち合わせなんかしてる場合か?キレ散らかしたい。

授乳もうまくいかない。

夜のうちに搾乳機の必要性を夫に相談し、Amazonで注文してもらっていたが、到着は午後。胸は張る。仕方なくミルクをあげるが、NUKの哺乳瓶はニップルの穴が大きすぎ、ミルクがドバドバ出て赤子がむせる。焦り、母をアカチャンホンポに走らせ、病院で使っていたピジョンの哺乳瓶を買いに行かせる。1時間後、なぜかスリムボトルを買ってきたが、ようやく飲んでくれる。

疲れた。

ベビーベッドも中途半端に安いものを買ったせいで、中腰で抱き上げるのがつらい。哺乳瓶といい、買い替えになりそうだ。金が飛ぶ。

母は余計なことばかり言う。30年前に1回だけした育児の知識など、すでに賞味期限切れ。赤子の足が冷たい?まず検索しろ。赤ちゃんグッズ購入品紹介なんて後にしてくれ。私に何でも聞かないでくれ。私は一昨日までただ入院して横わたっていただけの身だ。

とにかく私は股が痛くて座ることもできない女なんです。

母ではなく、母体なだけなんです。

夜ご飯はお寿司を出前。これが本当のお祝い膳。股が痛く円座クッションも傷口にあたり役に立たないので立って食べる。ようやく落ち着いて3人で会話をする。テレビも見る。殺伐としていた空気が変わり、和やかになる。さっきは無視した母のお祝い品も嬉しく思えてくる。ホッとする。

でも、また夜がきた。

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