育児日記1ヶ月11日目「赤子を抱けるということ」

育児日記

「7時間睡眠」という甘美な響きに憧れを抱きつつ、まだまだ無理そうとあっさり諦める。

泣いたらミルクをあげる。だって泣くんだもん。そして何より私自身が耐えられない。早く泣き止ませて寝たい。夫が社会復帰した今、夜のお世話は基本私ひとり。もう夜勤交代制ではない。

寝たい。私、寝たいんだよ私が7時間寝たいんだよ。

夜中の授乳はいつも以上に眠い。寝不足もあるが、単純にミルクを飲みながら抱っこされる赤子はあったかくて、ずしっとした重みもあって、なんとも気持ちがいい。

私もそのまま眠りたくなってしまうが、それは危ない。「いかんいかん」とそっと手を放し、布団に置く。ここでいつもの背中スイッチ発動……と思いきや、赤子、寝続ける。
「え、まじ?奇跡?」
驚きと感動が入り混じるが、無駄に刺激しないようそーっと自分も布団にもぐる。こうして夜は終わり、また朝が来る。

今日は、昨日とは別の友人が遊びに来てくれた。私と同じく0才児を産んだばかりの友人。けれど、彼女の赤ちゃんはまだNICU(新生児集中治療室)にいる。面会の写真を見せてもらうと、まだまだ小さいながらも、以前見た時よりもずっとしっかり大きくなっている。か細い手足に、ぎゅっと握られた小さな拳。こんなに小さいのに、確かに命がそこにあるのを感じて、涙が出そうになる。

改めて彼女の出産話を聞く。壮絶すぎて、聞いているだけで胸が苦しくなる。

「もし自分が同じ環境だったら、同じように明るく話せただろうか。」彼女は強い。強くなるしかなかったのかもしれないけど、圧倒的に私より強い。それに比べ、私は毎日くよくよ悩んでいる。長時間睡眠がどうとか、抱っこ癖がどうとか、そんなことを悩んでいる自分が急に贅沢に思えてくる。

生きている。ただそれだけでいい。

お願いだから消えていかないで。

私の腕の中で眠ってくれること。寝顔を見られること。授乳できること。ほっぺたを直接撫でられること。

「当たり前」だと思っていたことが、本当はどれだけ貴重で奇跡的なことなのか。

でも、彼女は明るく笑う。「胎内にいる時間分、早く会えたし、前もって色々準備できるからね!」
そう前向きに言う彼女の笑顔の裏に、どれほどの葛藤があったんだろう。絶対想像以上なことはたしかで「分かる」なんて口が避けても言えない。

次に会うときには、お互いに赤ちゃんを抱っこしながらの再会だ。そのとき私は、きっと号泣する。「友人が赤ちゃんを抱いて家にいる。」ただそれだけで感動してしまうに違いない。

面会の時間があるからと、彼女は颯爽と帰っていった。その背中を見送りながら、またひとり感動してしまう。電車ですれ違うどれだけの人が、彼女が抱えるものを推し量れるのだろう。誰もが他人で、誰もが自分とは全然違う境遇で、時に切実な状況にいるのかもしれないことを、いつも忘れがちになる。今日だけは会う人全員に優しくありたい。

思いがけず時間ができたので、ちょっとドライブに行くことにした。久しく行けていないディズニー。子連れで行けるのはまだまだ先になりそうだけど、せめて雰囲気だけでも味わおうとイクスピアリへ。唐突すぎて先程の感傷はどこにやら、という感じだが、行動しないといつまでも感傷に浸ってしまう。友人も友人の赤ちゃんも元気で何一つ問題なんてないのに、関係のない私が何をくよくよしていようか。全く自己陶酔甚だしい。

赤子を抱っこ紐に入れて、夫とブラブラ歩く。たまたま通りすがる赤子連れや子ども連れを見るたびに、無性に微笑んで見送ってしまう。結局まだ先ほどの感動の余韻が抜けていない。全てのママと握手そ、全ての子どもに拍手したい。

そんなことを思いながら店を回り帰宅すると、授乳時間をすっかり忘れていた。赤子は一度もぐずらなかった。いつもミルクの時だけは絶対にギャン泣きが止まらないのに。動いていると居心地がよかったのか、ただ諦めていたのか…謎である。

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